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私の問い
わたしの問いは「なぜ、山形はフルーツ王国なのか」です。なぜなら山形県は作っている果物がたくさんあり、他県のように一つや二つに絞らないのはなぜか不思議だったからです。
検証前の仮説
私の仮説は「災害が少ないから」ではないかと考えました。山形県は盆地で、奥羽山脈があるため台風があまり来ず、果物が落ちることが少ないから果物が育てやすく、果樹栽培が発達したのだと思います。
検証結果
私は図書館の果物の歴史に関する本や、県のホームページなどを参考にして、自分の仮説について調べてみました。
1つ目は、気候風土です。山が多く台風などの災害が少ない上に、水はけの良い斜面を使っていたり、昼夜の寒暖差が大きいおかげで、多種多様な果物を栽培することができることが分かりました。
2つ目は物流です。明治32年に初めて鉄道が開通し、その鉄道を利用して主にさくらんぼが東京に送られました。こうして消費ちが増えたことで需要が拡大し、生産量が急増したことが分かりました。
3つ目は官民が一体となって生産を進めていたことです。明治初期、当時の山形県令の三島通庸らがさくらんぼ栽培を導入したり、ぶどうが試験栽培を進めたりしたことで急速に栽培が広がっていった事が分かりました。
なぜ山形はフルーツ王国になったのかを調べて気づいたのは、気候風土などの理由だけではなく、多くの人々の努力によってフルーツ王国としての下地が作られてきたということです。
参考にした図書・サイト
サイト:おいしい山形ホームページ
図書:折々のできごと年代記 おうとう・さくらんぼうの歴史
written by しゅうへい (中学3年生)