私の問い
ぼくの問いは「なぜ山形県の土器はもようが少ないのか」です。なぜなら、お父さんと土器の博物館に行ったとき、もようが少ないと思ったからです。
検証前の仮説
ぼくの仮説は「昔から山形の人は、そんなに派手にしたくなかったから」です。なぜなら、山形の服とかは無地とか模様が少しだけついてる服が多いからです。
検証結果
大学で考古学を専攻していた鈴木さんにインタビューをして、次のようなことがわかりました。まず、縄文時代は草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に分かれており、時代によって土器の形状や模様、装飾が異なるそうです。縄文時代の区分がこんなに細かく分かれているのは知りませんでした。また、日本の東側と西側でよく作られていた土器の傾向が違うこともわかりました。
しかも、山形県内でも東側=海沿いと、西側=内陸で傾向が違っていて、内陸で出土される土器は少し地味なんだそうです。山形市内の土器を見たとき、他の場所で見たものと比べて地味に感じたのは、きっとそういう理由があるのかもしれないと思いました。今の時代も流行があるけど、昔も同じように時期ごとに流行りがあったそうです。
さらに、こうした地域的な理由とは違うものとして考えられるのが、「精製土器」と「粗製土器」というものです。「精製土器」はお祭りなど特別なときに使うもので、「粗製土器」は調理などの普段づかいする土器です。なので、地味だなと感じたのは「粗製土器」なのではないかと教えてくれました。「精製土器」と「粗製土器」は知らなかったので、そういう考え方が大事なんだなと思いました。
最後に、考古学はわからないことだらけなので、想像することが大事だと教えてくれました。この言葉を、今後は歴史の授業で生かしていきたいなと思いました。
参考にした図書・サイト
インタビューした人:鈴木佳奈さん(東北芸術工科大学芸術学部歴史遺産学科卒業生)
図書:特別展 やまがたの縄文土器
国宝 縄文の女神
次に取り組みたい問い
ぼくが次に取り組みたい問いは、「”縄文の女神”はなぜ女神と呼ばれているのか?」です。なぜなら、縄文の女神と初めて聞いたときに縄文時代に作られたものだから、縄文と付くのはわかるけど、なぜ女神なのかはわからなかったからです。
写真提供:北野博司さん(文化財保存修復研究センター教授・文化財保存修復センター長)
written by ようた (小学4年生)